文章 - 『何處へ』 正宗白鳥

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四五|日《にち》はかくて過《す》ぎた。目《め》を醒《さ》ますと、屋根《やね》には霜《しも》を置《お》いて朝日《あさひ》がキラ〳〵と照《て》つてることもある、雲《くも》の低《ひく》く垂《た》れてることもある。培養《ばいやう》せぬ菊《きく》は蟲《むし》に喰《く》はれて自然《しぜん》に萎《しほ》れて行《ゆ》く。父子《ふし》は前後《ぜんご》して出勤《しゆつきん》する。健次《けんじ》は每日《まいにち》同《おな》じやうなことを考《かんが》へて、一|日《にち》の仕事《しごと》を濟《す》ませて歸《かへ》ると、相《あひ》も變《へん》らず母《はゝ》は窶《やつ》れた顏《かほ》をして待《ま》つてゐる。一|家《か》には何《なん》の波瀾《はらん》もない。母《はゝ》は年中《ねんぢう》廢屋《あばらや》に燻《くす》ぶつてゐるのだから、偶《たま》に戶外《そと》へ出《で》るか、異《かは》つた人《ひと》が訪《たづ》ねて來《く》ると、見《み》たり聞《き》いたりした何《なん》でもない事《こと》を、物珍《ものめづ》らしさうに誇張《こちやう》して問《と》はず語《がた》りをするのを樂《たのし》みにしてゐる。妹《いもと》の千代《ちよ》は思《おも》ひ出《だ》しては朗讀《らうどく》の稽古《けいこ》をしてゐるが、平生《ふだん》ほどお喋舌《しやべ》りもせず、多少《たせう》鬱《ふさ》いでる風《ふう》も見《み》える。織田《おだ》は忙《いそがし》いので手紙《てがみ》を送《おく》つたきり訪《たづ》ねて來《こ》ない。先月《せんげつ》から赤痢《せきり》が流行《りうかう》して、根岸《ねぎし》近傍《きんばう》にも大分《だいぶ》患者《くわんじや》があるやうだが、菅沼《すがぬま》の一|家《か》は數年《すうねん》來《らい》風邪《ふうじや》以上《いじやう》の病人《びやうにん》はない。で、父《ちゝ》は家族《かぞく》が皆《みな》健全《けんぜん》で目出度《めでたい》々々々と一人《ひとり》で喜《よろこ》んで、自分《じぶん》が少《すこ》し風邪氣《かぜけ》があらうと腹加減《はらかげん》がよくなからうと、痩我慢《やせがまん》を出《だ》して出勤《しゆつきん》してゐる。しかし今度《こんど》の寒《さむ》さ當《あた》りは我慢《がまん》し切《き》れなかつたと見《み》え、或日《あるひ》役所《やくしよ》を早退《はやび》けにして歸《かへ》り、お定《きま》りの晚酌《ばんしやく》も止《よ》して、行火《あんか》へもぐり込《こ》んでしまつた。

健次《けんじ》は父《ちゝ》の代《かは》りに海苔《のり》を肴《さかな》に一|本《ぽん》ガブ呑《の》みにして、書齋《しよさい》へ入《はい》つたが、寢《ね》るには早《はや》し、ランプと睨《にらめ》つくらをしてゐた。すると、その朝《あさ》桂田《かつらだ》夫人《ふじん》の筆《ふで》で晚餐會《ばんさんくわい》招待《せうたい》のハガキの來《き》たことから、桂田《かつらだ》に借《か》りた「東西《とうざい》倫理《りんり》思潮《してう》」を、本箱《ほんばこ》の上《うへ》に置《お》いたまゝ手《て》にも取《と》らず、談話《だんわ》筆記《ひつき》に行《ゆ》くのも忘《わす》れてゐたことを思《おも》ひ出《だ》し、それを取出《とりだ》して飛《と》び〳〵に讀《よ》みかけた。
西風《にしかぜ》がカタ〳〵と雨戶《あまど》に當《あた》り、隣家《となり》の柿《かき》の葉《は》の散《ち》る音《おと》も幽《かす》かに聞《きこ》える。父《ちゝ》は時々《とき〴〵》呻吟《うめい》てゐる。

次第《しだい》に健次《けんじ》の目《め》は書物《しよもつ》を離《はな》れ、銳《するど》い神經《しんけい》は風《かぜ》の音《おと》と父《ちゝ》の呻吟《うめき》とに煩《わづら》はされ、火鉢《ひばち》へ俯首《うつむ》いて眉《まゆ》を顰《ひそ》め、煙草《たばこ》の吸口《すゐくち》を嚙《か》んでゐると、門《かど》の戶《と》がそつと開《あ》いた。それが木枯《こがら》しで自然《しぜん》に開《あ》いたやうで、健次《けんじ》は思《おも》はず薄氣味《うすきみ》惡《わる》く感《かん》じた。忍《しの》びやかに敷石《しきいし》に音《おと》がする。誰《た》れかが來《き》たらしく、やがて低《ひく》い聲《こゑ》で母《はゝ》との話聲《はなしごゑ》がする。
「あゝ織田《おだ》だな」と、健次《けんじ》は離《はな》れ島《じま》に人《ひと》の訪《たづ》ねた如《ごと》く、救助《きうじよ》の舟《ふね》でも來《き》た如《ごと》く望《のぞ》みを掛《か》けて待《ま》つてゐた。

暫《しばら》くして織田《おだ》は「ヤア」と、例《れい》の頓間《とんま》な聲《こゑ》をして入《はい》つて來《き》て、火鉢《ひばち》を隔《へだ》てゝ坐《すわ》つた。新調《しんてう》と思《おも》はれる綿入《わたいれ》を着《き》て、髯《ひげ》も剃《そ》つて、髮《かみ》も奇麗《きれい》に分《わ》け、愉快《ゆくわい》さうな顏付《かほつき》をしてゐる。
「非常《ひじやう》に遲《おそ》く來《き》たね」

「遲《おそ》くなくちや君《きみ》がゐないかと思《おも》つて、」と、織田《おだ》は珍《めづ》らしく敷島《しきしま》を袂《たもと》から出《だ》して火《ひ》を付《つ》け、
「僕《ぼく》は今日《けふ》非常《ひじやう》に愉快《ゆくわい》だ」

「愉快《ゆくわい》だつて、君《きみ》からそんな言葉《ことば》を聞《き》くのは不思議《ふしぎ》だ、親爺《おやぢ》の病氣《びやうき》でもよくなつたのか」
「いや、親爺《おやぢ》は變《かは》らないがね、今日《けふ》僕《ぼく》は桂田《かつらだ》さんの紹介《せうかい》で新職業《しんしよくげふ》に有《あり》ついたんだ、神田《かんだ》の本屋《ほんや》で辭書《じしよ》の編纂《へんさん》だが、報酬《ほうしう》も非常《ひじやう》にいゝんだよ」

「さうか、面倒《めんだう》臭《くさ》い厭《いや》な仕事《しごと》だね、辛抱《しんばう》出來《でき》るかい」

「面倒《めんだう》臭《くさ》いなんて云《い》つた日《ひ》にや、いゝ仕事《しごと》はありやしないぜ、報酬《ほうしう》さへよけりや、僕《ぼく》は何《なん》でもやる、それにね君《きみ》、僕《ぼく》は長編《ちやうへん》を昨日《きのふ》譯《やく》してしまつたよ、あの金《かね》が入《はい》ると、借金《しやくきん》を殘《のこ》らず拂《はら》へるし、醫者《ゐしや》の方《はう》も奇麗《きれい》に片付《かたづ》くから一|安心《あんしん》だ、君《きみ》にも一|杯《ぱい》奢《おご》らあ」

織田《おだ》は平素《ふだん》健次《けんじ》を無《む》二の親友《しんいう》と思《おも》ひ、互《たが》ひに喜憂《きいう》を分《わか》つつもりでゐるので、今日《けふ》も吉報《きつぽう》を傳《つた》へに來《き》たのだ。

「そりや結構《けつかう》だ」と、健次《けんじ》は口先《くちさき》では云《い》つたが、心《こゝろ》ではこの魁偉《くわいゝ》なる人間《にんげん》が、信州《しんしう》訛《なまり》の拔《ぬ》けぬ頭《あたま》の眞中《まんなか》の禿《は》げた老母《らうぼ》と、頰《ほゝ》の赤《あか》いよく肥《ふと》つた妻君《さいくん》のために、年中《ねんぢう》專念《せんねん》一|意《い》脇目《わきめ》も振《ふ》らず稼《かせ》いでゐる樣《さま》を憐憫《みじめ》に感《かん》じた。

「僕《ぼく》も二三|年《ねん》踠《あが》き通《とほ》しだつたが、これからは少《すこ》しは樂《らく》になるだらう、隨分《ずゐぶん》君《きみ》にも迷惑《めいわく》を掛《か》けたがね、もう大丈夫《だいじやうぶ》だ。節儉《せつけん》すりや月末《つきずゑ》の拂《はら》ひに困《こま》ることはない、何《なに》しろ學校《がくかう》の月給《げつきふ》は三十|圓《ゑん》だから遣切《やりき》れなかつたが、辭書《じしよ》からは六十|圓《ゑん》づゝ吳《く》れるんだよ、丁度《てうど》倍《ばい》だからね、それに内職《ないしよく》に飜譯《ほんやく》を續《つゞ》けてやつてけば、小使錢《こづかひせん》は取《と》れるし」と、織田《おだ》は自分《じぶん》の現狀《げんじやう》を想《おも》つて悅《うれ》しくてならぬ風《ふう》だ。で、尙《なほ》世帶話《しよたいばなし》を續《つゞ》けて、「家賃《やちん》は收入《しうにふ》の五|分《ぶん》の一を超過《てうくわ》してはならぬ」とか、「消費《せうひ》組合《くみあひ》に入《はい》れば幾《いく》ら宛《づゝ》經濟《けいざい》になる」とか。終《しまひ》には將來《しやうらい》の家計《かけい》の豫算《よさん》計畫《けいくわく》を細《こま》かく說《と》き出《だ》した。

妹共《いもとども》はもう寢《ね》たのか、家《うち》の内《うち》は靜《しづ》かだが、隣家《となり》から赤兒《あかご》の泣聲《なきごゑ》が洩《も》れ聞《きこ》え、柿《かき》の葉《は》もカサ〳〵と音《おと》を立《た》てゝゐる。健次《けんじ》は火箸《ひばし》で炭籠《すみかご》を引寄《ひきよ》せどつさり添炭《そへすみ》した。最早《もはや》酒《さけ》の氣《け》もなくなつて寒《さむ》い。せめて織田《おだ》が何時《いつ》ものやうに苦痛《くつう》を訴《うつた》へるのなら、聞《き》いても多少《たせう》張合《はりあひ》もあるが、大得意《だいとくい》で生活《せいくわつ》の勝利《しやうり》を談《だん》ずるのだから健次《けんじ》は聞《き》いてゐても眠《ねむ》くなるばかり、

「それでね、父《ちゝ》の病氣《びやうき》がどうかなり次第《しだい》、もつといゝ家《うち》へ轉宅《てんたく》して新《あたら》しい生活《せいくわつ》を初《はじ》めるつもりだ、それについて妹《いもと》だけ持《も》て餘《あま》し者《もの》だが、あれに對《たい》する責任《せきにん》さへ免《まぬか》れりや、僕《ぼく》の重荷《おもに》は卸《お》りてしまうんだよ」と、織田《おだ》は抑揚《よくやう》緩急《くわんきふ》のない調子《てうし》で云《い》つて相手《あひて》の顏《かほ》を見《み》て答《こたへ》を促《うなが》した。

健次《けんじ》は五月蠅《うるさ》い奴《やつ》だと思《おも》つて、何《なに》か云《い》はうとした所《ところ》へ、母《はゝ》が茶盆《ちやぼん》と菓子皿《くわしざら》を持《も》つて來《き》た。「今《いま》織田《おだ》さんに頂《いたゞ》いたんだよ」と、母《はゝ》は茶《ちや》を注《つ》いで、中腰《ちうごし》で二つ三つ世間《せけん》話《ばなし》をして行《い》つた。皿《さら》にはチヨコレート、クリームが黃《きいろ》い紙《かみ》に包《つゝ》まれて並《なら》んでゐる。健次《けんじ》はそれを手《て》に取《と》つて、端《はじ》を前齒《まへば》で嚙《か》んだが、厭《いや》な顏《かほ》をして、喰餘《くひあま》しを机《つくゑ》の端《はじ》へ置《お》き、

「もう君《きみ》、緣談《えんだん》は止《よ》さうぢやないか、僕《ぼく》はもう聞《き》きたくない」と、命令的《めいれいてき》に云《い》ふ。織田《おだ》は壓《をさ》へ付《つ》けられて暫《しば》らく默《だま》つてゐた。

「だが、君《きみ》の爲《ため》にも結婚《けつこん》する方《はう》がいゝと思《おも》ふ、今《いま》も母堂《マザー》に話《はな》すと母堂《マザー》も賛成《さんせい》して、さうなると結構《けつかう》だと云《い》つてる、それに何《なん》だよ」と、四圍《あたり》を憚《はゞか》つて聲《こゑ》を低《ひく》くし、「君《きみ》のシスターについても僕《ぼく》は考《かんが》へてる、今度《こんど》の事《こと》は四五|日《にち》前《まへ》に鶴《つる》にもよく話《はな》したんだがね、その時《とき》彼女《あれ》に聞《き》くと、お千代《ちよ》さんは箕浦《みのうら》を思《おも》つてるんださうだ、それだと丁度《てうど》いゝぢやないか、シスターを箕浦《みのうら》へやつちまつては、何《なん》なら僕《ぼく》が周旋《しうせん》する。」

「だつて君《きみ》は箕浦《みのうら》は嫌《きら》ひだと云《い》つてたぢやないか」

「しかし君《きみ》のシスターが好《す》いてりや仕方《しかた》がないさ、君《きみ》も早《はや》く妹《いもと》を片付《かたづ》けて、定《きま》りをつけて、活動《くわつどう》し玉《たま》へ、君《きみ》は我々《われ〳〵》とは異《ちが》つて才《さい》があるんだから幾《いく》らでも發展《はつてん》出來《でき》る」

「うまく煽動《おだて》るね、煽動《おだて》たつて駄目《だめ》だよ、僕《ぼく》に發展《はつてん》の道《みち》がある位《くらゐ》なら、君等《きみら》に云《い》はれなくても疾《とつ》くに發展《はつてん》してる」と、健次《けんじ》は肱枕《ひぢまくら》で橫《よこ》になつた。

「箕浦《みのうら》の自惚家《うぬぼれや》でも君《きみ》にや感心《かんしん》してるよ、二三|日前《にちまへ》にも見舞《みま》ひだつてやつて來《き》て、何時《いつ》か君《きみ》は異彩《ゐさい》を放《はな》つだらうと云《い》つてた、實《じつ》はその時《とき》妹《いもと》を君《きみ》におつ付《つ》けたいと彼男《あれ》にも明《あか》したのだ」

「箕浦《みのうら》は何《なん》と云《い》つてた」

「彼男《あれ》かね」と、織田《おだ》は云《い》ひかけて躊躇《ちうちよ》して、「別《べつ》に何《なに》も云《い》やしない、丁度《てうど》いゝだらうと云《い》つてた」

「さうでもなからう、しかし君《きみ》は色《いろ》んな事《こと》をするね、千代《ちよ》にも何《なに》か話《はな》したね」

「いや碌《ろく》に話《はな》しもしないが、妻《さい》や妹《いもと》を通《とほ》して多少《たせう》聞《き》いたことはある」

「そうか、彼女《あいつ》が此間《こなひだ》、君《きみ》の家《うち》から歸《かへ》ると、僕《ぼく》に向《むか》つて頻《しき》りに結婚《けつこん》を勸《すゝ》めるから、變《へん》だなと思《おも》つたが今《いま》分《わか》つた、彼女《あいつ》も歲《とし》が歲《とし》だけに生意氣《なまいき》な事《こと》を考《かんが》へてやがらあ」と、舌打《したうち》して起上《おきあが》つた、健次《けんじ》は腹《はら》の中《うち》で、「妹《いもと》は箕浦《みのうら》に對《たい》する競爭者《けうさうしや》のお鶴《つる》を自分《じぶん》に當《あて》がつて、箕浦《みのうら》を一人《ひとり》占《じ》めにしやうと思《おも》つてるんだらう」と、妹《いもと》の腹《はら》の底《そこ》まで小憎《こにくらし》く感《かん》じた。あんな男《をとこ》を珍重《ちんてう》して戀《こひ》とか何《なん》とか云《い》つてるのを蟲唾《むしづ》の出《で》る程《ほど》厭《いや》に感《かん》じた。

織田《おだ》は健次《けんじ》の目付《めつき》の銳《するど》くなるを見《み》て、「何《なに》を考《かんが》へてるんだ」と聞《き》く。

「君《きみ》も餘計《よけい》な世話《せわ》を燒《や》くね、自分《じぶん》の事《こと》だけで飽《あ》き足《た》らなくて」

「餘計《よけい》な世話《せわ》ぢやない、友情《いうじやう》から考《かんが》へたんだ、一|家《か》の幸福《しあはせ》のために僕《ぼく》の云《い》つた通《とほ》りにし玉《たま》へ、どうせ通《とほ》る道《みち》なら早《はや》く通《とほ》つた方《はう》がいゝぢやないか」

「いゝ仕事《しごと》に有付《ありつ》いたと思《おも》つて馬鹿《ばか》に大家《たいか》めいた事《こと》を云《い》ふね、しかし僕《ぼく》は君《きみ》や箕浦《みのうら》とは異《ちが》つて何處《どこ》へ行《い》くんか方角《はうがく》が取《と》れんから仕方《しかた》ないさ、」

「ぢや僕《ぼく》の說《せつ》は用《もち》ひないんか、それで君《きみ》はどうするんだい、責任《せきにん》の重《おも》い身體《からだ》で」

「さあどうするかね」と、他人事《ひとごと》のやうに云《い》つたが、急《きふ》に鬱陶《うつとう》しい色《いろ》を呈《てい》した。

「君《きみ》は學生《がくせい》時代《じだい》と同《おな》じやうな氣《き》でゐるが、よく家族《かぞく》の事《こと》を思《おも》はんで浮々《うか〳〵》してられるね、目《め》の前《まへ》に君《きみ》の責任《せきにん》がころがつてるぢやないか」と織田《おだ》は眞面目《まじめ》な口調《くてう》を止《や》めぬ。

「だから僕《ぼく》は家《うち》が厭《いや》だよ」と、健次《けんじ》は又《また》橫《よこ》になつて目《め》を閉《と》ぢて、「君《きみ》とも長《なが》い間《あひだ》交際《つきあつ》てるが、福音《ふくゐん》も聞《き》かせて吳《く》れんね、」と、云《い》つたきり、口《くち》を利《き》かなくなつた。

で、織田《おだ》が母《はゝ》と話《はな》して歸《かへ》つた後《のち》、健次《けんじ》は冷《つめ》たい蒲團《ふとん》の中《なか》へもぐり込《こ》んで、「彼奴《あいつ》も馬鹿《ばか》野郎《やらう》だ」と呟《つぶや》いた。しかしこれは他人《たにん》の間《なか》で氣㷔《きえん》を吐《は》いてる時《とき》に叫《さけ》ぶとは異《ことな》つて、滅入《めい》つた絕望《ぜつばう》の聲《こゑ》だ。