リンカーンズ・インの弁護士ミスタ・ジョン・ランバート・マンガンは助手が差し出した名刺を見てあっけにとられた。驚きはすぐに狼狽と入り混じった。
「まいったな。これを見ろよ、ハリソン」そう言って、それまで相談をしていた部長に名刺を渡した。「ドミニー――サー・エヴェラード・ドミニーがイギリスに戻ってきたよ!」
部長は細長い名刺を一目見てため息をついた。
「これは厄介なお客さんですよ」と彼は言った。
彼の雇い主は顔をしかめた。「言われるまでもない」彼は怒ったように答えた。「あの地所からはもう一ペニーも出てきはしない。それは知っているだろう、ハリソン。過去半年、アフリカに送った小遣いは木を売って捻出した金だ。そのままアフリカにいればいいものを!」
「お客様には何と申しあげましょうか?」助手の少年が尋ねた。
「ああ、お通ししろ」ミスタ・マンガンは不機嫌そうに指示を出した。「いつかは面会しなければならないのだから。この宣誓供述書は昼飯のあとに片づけよう、ハリソン」
弁護士は依頼人を歓迎するために顔の表情をあらためた。どんなに面倒な相手とはいえ、数代に渡ってこの事務所をひいきにしてくれた大切な一族の代表なのだ。彼は年よりも老けて見える、みすぼらしい、落魄した男に向かって挨拶する心構えをした。ところが腕を伸ばして握手した相手は、りゅうとした身なりといい、整った顔立ちといい、あまり愛想のよくない事務所の敷居をくぐった人間のなかで、もっとも際だった人物の一人だった。一瞬、彼は言葉を失い、訪問者を凝視した。見覚えのある顔立ち――形のよい鼻、やや深く窪んだ灰色の目――がそこにあった。驚きが彼のもてなしに少しだけ誠意を吹きこんだ。
「サー・エヴェラード!お会いできるとは思いがけない喜びですな――本当に思ってもいなかった!しかしもったいないことをしてしまいましたよ、二、三日前に小切手をお送りしたばかりなんですから。それにしても――失礼な言い方かも知れませんが――お元気そうじゃないですか!」
ドミニーは勧められた安楽椅子に座りながら微笑んだ。
「アフリカは素晴らしいところだよ、マンガン」彼の声にはかすかに横風な調子があり、それを聞くと弁護士は今の依頼人の父親の時代を思い出した。
「こんな言い方を許していただけるなら、アフリカはあなたを見違えるほど変えてしまいましたよ、サー・エヴェラード。そう言えば、最後にお会いしてから十一年は経っていますね」
サー・エヴェラードは杖の先端で磨き抜かれた茶色い靴のつま先をたたいた。
「わたしがロンドンを発ったのは」と彼は回想するようにつぶやいた。「一九〇二年の四月だった。だから、そうだね、十一年だよ、ミスタ・マンガン。またロンドンに戻ったのかと思うと不思議な気がする。分かるだろう、こんな気持ち」
「そうでしょうとも。今思ったのですが――最後の送金は止められるかも知れません。手元に多少お金のあったほうがよろしいでしょうから」彼は自信に満ちた笑顔とともにそうつけ加えた。
「ありがとう。しかし今のところ必要はない」仰天するような返事だった。「金の話はあとでしよう」
ミスタ・マンガンは心のなかで自分の顔をつねった。今の依頼人のことは彼が学生の頃から知っている。いろいろなときに訪問を受けたが、金の問題がこんなにあっさり退けられたことはついぞ記憶になかった。
「というと」彼はとにかく何かしゃべらなければと思って言った。「しばらくこちらにいらっしゃるつもりですか?」
「アフリカとは縁を切ったということだ」どことなく重々しい返事だった。「こちらに腰を落ち着けるといっても、君の話次第といったところがなきにしもあらずだが」
弁護士は頷いた。
「ロジャー・アンサンクのことは安心なさっていいでしょう。イギリスをお発ちになってから、消息は一切不明です」
「彼の――死体は見つからなかったのか?」
「痕跡もありません」
短い沈黙があった。弁護士はドミニーをじっと見つめ、ドミニーは弁護士を探るように見返した。
「ドミニー夫人は?」ドミニーがとうとう尋ねた。
「奥様の容態はお変わりないようです」彼は言葉を選んで答えた。
ドミニーはまたしても短い間をおいて話しつづけた。「問題がなければドミニー邸に落ち着くことになるだろうと思うのだが」
弁護士はためらっているようだった。
「申しあげにくいのですが、サー・エヴェラード、お屋敷の状態には相当がっかりなさると思います。手紙に何度も書きましたが、地代の総収入は、ドミニー夫人への分与分を差し引くと抵当利息もまかなえない額なのです。差額を埋め合わせ、あなたに送金するには、周辺の木を売らなければなりませんでした」
「残念だな」ドミニーは顔をしかめて答えた。「もっと君を信頼して相談するべきだった。ところで、いつ――つまり――わたしの最後の手紙を受け取ったのはいつ頃だったかね?」
「最後の手紙ですか?」ミスタ・マンガンは鸚鵡返しに言った。「サー・エヴェラード、あなたからは四年以上もお手紙をいただいていません。送ったお金が届いたことは南アフリカ銀行の口座がすぐさま借越になるのでかろうじて分かったのです」
「それはすまなかった」と、この思いもかけぬ訪問者は言った。「わたしはわたしで一心不乱に仕事をしていたのだ。最近の南アフリカのゴシップを聞いていないとしたら、びっくりするだろうが、マンガン、わたしは大金を儲けたんだよ」
「お金を儲けたですって?」弁護士は息が止まった。「あなたがお金儲けをなさったのですか、サー・エヴェラード?」
「驚くだろうと思ったよ」ドミニーは落ち着いて言った。「しかしそれはどうでもいいんだ。今朝、君を訪ねてきたのは、ドミニー邸を抵当にして借りている金を全額、大急ぎで返済する手続きをしてほしいからなのだ」
ミスタ・マンガンは新しいタイプの弁護士だった。パブリックスクールはハロー、大学はケンブリッジ、バス・クラブ(註スカッシュの選手権で有名なロンドンのクラブ)に所属してゴルフやローンテニスよりもラケットやファイブスを好んだ。驚いた彼は「ゴッド・ブレス・マイ・ソウル!」と言う代わりに「グレイト・スコット!」と叫び、左目からたいそうモダンな片眼鏡を落として、両手をポケットに突っこんだまま椅子の背にもたれた。
「三、四年ほど運に恵まれてね」と、依頼人はつづけた。「金鉱、ダイヤモンド鉱、それに土地で儲けたんだ。もう一年向こうにいたら、俗臭芬々たる億万長者になって戻ってきたかもしれない」
「心からお喜び申しあげますよ」ミスタ・マンガンは何とかそう言うことができた。「驚いたりして失礼しました。しかしわたしの知る限り、ドミニー家の方で、方法を問わず、一ペニーでも稼ぎ出した方はあなたが初めてですよ。それにアフリカに行かれる前のあなたの様子からは――あけすけな言い方をしても許してもらえると思うのですが――そんなことをしようとすることすら予想できませんでした」
ドミニーは上機嫌で微笑んだ。
「アフリカ連合銀行に問い合わせれば、わたしの口座が十万ポンドほど貸方残高になっていることが分かるだろう。ついで言うと、その、なんだね、わたしは一級鉱山にも投資しているんだ。ミスタ・マンガン、昼食をつきあってくれないだろうか。アフリカのことはもう話題にしたくないんだけれど、投機の話を少しばかりしよう」
弁護士は手探りして帽子を探した。
「助手にタクシーを呼ばせましょう」彼は口ごもるように言った。
「外に車を待たせてあるんだ」と、この驚くべき依頼人は言った。「出る前にドミニー邸の担保物件をリスト化するように事務職員に指示しておいてくれないか。債務弁済最終期限と償還価値も明記して」
「ちゃんと指示しておきましょう」ミスタ・マンガンは約束した。「全部合わせても八万ポンドにはならないと思います」
ドミニーが事務所のなかを通るとき、数名の事務職員が好奇の目つきでじろじろと彼を見た。弁護士は数分後に舗道の上で彼に合流した。
「どこで食事しようか。わたしが行くクラブはちょっと流行遅れだし。今、カールトンホテルに泊まっているんだが」
「カールトンホテルのレストランなら申し分なしですよ」ミスタ・マンガンが提案した。
「一時半まではテーブルを取っておいてくれている。是非あそこで食事しよう」
彼らは一緒に車で出かけた。帰国した旅行者はずっと窓から混雑する通りを眺め、弁護士は軽い物思いにふけっていた。
「そう言えば、サー・エヴェラード」目的地が近づいたとき弁護士が言った。「ドミニー邸に行かれる前にちょっとお話しておきたいことがあります」
「特別な話かい?」
「ドミニー夫人のことです」弁護士は若干深刻な調子で答えた。
相手の顔に影がさした。
「妻はだいぶ変わったのかな?」
「お身体のほうは大変調子がよろしいようです。しかし精神状態は少しも変わっていません。残念ながら相変わらず激しい思いこみをお持ちです。あなたがイギリスを離れる原因となった思いこみを」
「分かりやすく言えば」ドミニーは苦々しく言った。「わたしが同じ屋根の下に泊まったりしたら、殺してやるという宣言を撤回してないんだね」
「奥様の様態はしっかり見守る必要があるでしょう」弁護士は直接質問に答えることを避けた。「しかし、時間が経っても、奥様の不幸な反感が薄れてないことは、一応お話しておくべきだと思いまして」
「彼女は今でもわたしがロジャー・アンサンクを殺したと思っているのだろうか?」ドミニーは落ち着いて尋ねた。
「思っていると思います」
「他の人もみんな同じように考えているんだろうね」
「あの謎はいまだに解決していません。あなたが公園で争ったこと、ほとんどふらふらの状態で家に帰ったことはみんな知っています。ロジャー・アンサンクはその日から姿を消し、今日に至るまで行方不明です」
「わたしが殺したのだとしたら、どうして死体が見つからないんだ?」
弁護士は頭を振った。
「もちろんいろいろな説がありますが、ただ、一つの噂だけは覚悟なさっておいたほうがいいでしょう。お屋敷の近隣に住む人々は、ブラック・ウッドの争いのあったあたりに、今でもロジャーアンサンクの幽霊が出没すると、みんな信じています」
「率直な意見を聞かせてほしい。もしも死体が発見されたら、これだけ時間が経過していても、わたしは殺人罪で起訴されることになるのか?」
「ご安心なさい。第一に、わたしの考えでは起訴されることはありえない」
「第二には?」
「ノーフォークのあの辺りに住んでいる人なら分かりますが、ブラック・ウッドの片隅に放置された死体なんて、人間のだろうが、動物のだろうが、二度と見つかりはしませんよ!」
「まいったな。これを見ろよ、ハリソン」そう言って、それまで相談をしていた部長に名刺を渡した。「ドミニー――サー・エヴェラード・ドミニーがイギリスに戻ってきたよ!」
部長は細長い名刺を一目見てため息をついた。
「これは厄介なお客さんですよ」と彼は言った。
彼の雇い主は顔をしかめた。「言われるまでもない」彼は怒ったように答えた。「あの地所からはもう一ペニーも出てきはしない。それは知っているだろう、ハリソン。過去半年、アフリカに送った小遣いは木を売って捻出した金だ。そのままアフリカにいればいいものを!」
「お客様には何と申しあげましょうか?」助手の少年が尋ねた。
「ああ、お通ししろ」ミスタ・マンガンは不機嫌そうに指示を出した。「いつかは面会しなければならないのだから。この宣誓供述書は昼飯のあとに片づけよう、ハリソン」
弁護士は依頼人を歓迎するために顔の表情をあらためた。どんなに面倒な相手とはいえ、数代に渡ってこの事務所をひいきにしてくれた大切な一族の代表なのだ。彼は年よりも老けて見える、みすぼらしい、落魄した男に向かって挨拶する心構えをした。ところが腕を伸ばして握手した相手は、りゅうとした身なりといい、整った顔立ちといい、あまり愛想のよくない事務所の敷居をくぐった人間のなかで、もっとも際だった人物の一人だった。一瞬、彼は言葉を失い、訪問者を凝視した。見覚えのある顔立ち――形のよい鼻、やや深く窪んだ灰色の目――がそこにあった。驚きが彼のもてなしに少しだけ誠意を吹きこんだ。
「サー・エヴェラード!お会いできるとは思いがけない喜びですな――本当に思ってもいなかった!しかしもったいないことをしてしまいましたよ、二、三日前に小切手をお送りしたばかりなんですから。それにしても――失礼な言い方かも知れませんが――お元気そうじゃないですか!」
ドミニーは勧められた安楽椅子に座りながら微笑んだ。
「アフリカは素晴らしいところだよ、マンガン」彼の声にはかすかに横風な調子があり、それを聞くと弁護士は今の依頼人の父親の時代を思い出した。
「こんな言い方を許していただけるなら、アフリカはあなたを見違えるほど変えてしまいましたよ、サー・エヴェラード。そう言えば、最後にお会いしてから十一年は経っていますね」
サー・エヴェラードは杖の先端で磨き抜かれた茶色い靴のつま先をたたいた。
「わたしがロンドンを発ったのは」と彼は回想するようにつぶやいた。「一九〇二年の四月だった。だから、そうだね、十一年だよ、ミスタ・マンガン。またロンドンに戻ったのかと思うと不思議な気がする。分かるだろう、こんな気持ち」
「そうでしょうとも。今思ったのですが――最後の送金は止められるかも知れません。手元に多少お金のあったほうがよろしいでしょうから」彼は自信に満ちた笑顔とともにそうつけ加えた。
「ありがとう。しかし今のところ必要はない」仰天するような返事だった。「金の話はあとでしよう」
ミスタ・マンガンは心のなかで自分の顔をつねった。今の依頼人のことは彼が学生の頃から知っている。いろいろなときに訪問を受けたが、金の問題がこんなにあっさり退けられたことはついぞ記憶になかった。
「というと」彼はとにかく何かしゃべらなければと思って言った。「しばらくこちらにいらっしゃるつもりですか?」
「アフリカとは縁を切ったということだ」どことなく重々しい返事だった。「こちらに腰を落ち着けるといっても、君の話次第といったところがなきにしもあらずだが」
弁護士は頷いた。
「ロジャー・アンサンクのことは安心なさっていいでしょう。イギリスをお発ちになってから、消息は一切不明です」
「彼の――死体は見つからなかったのか?」
「痕跡もありません」
短い沈黙があった。弁護士はドミニーをじっと見つめ、ドミニーは弁護士を探るように見返した。
「ドミニー夫人は?」ドミニーがとうとう尋ねた。
「奥様の容態はお変わりないようです」彼は言葉を選んで答えた。
ドミニーはまたしても短い間をおいて話しつづけた。「問題がなければドミニー邸に落ち着くことになるだろうと思うのだが」
弁護士はためらっているようだった。
「申しあげにくいのですが、サー・エヴェラード、お屋敷の状態には相当がっかりなさると思います。手紙に何度も書きましたが、地代の総収入は、ドミニー夫人への分与分を差し引くと抵当利息もまかなえない額なのです。差額を埋め合わせ、あなたに送金するには、周辺の木を売らなければなりませんでした」
「残念だな」ドミニーは顔をしかめて答えた。「もっと君を信頼して相談するべきだった。ところで、いつ――つまり――わたしの最後の手紙を受け取ったのはいつ頃だったかね?」
「最後の手紙ですか?」ミスタ・マンガンは鸚鵡返しに言った。「サー・エヴェラード、あなたからは四年以上もお手紙をいただいていません。送ったお金が届いたことは南アフリカ銀行の口座がすぐさま借越になるのでかろうじて分かったのです」
「それはすまなかった」と、この思いもかけぬ訪問者は言った。「わたしはわたしで一心不乱に仕事をしていたのだ。最近の南アフリカのゴシップを聞いていないとしたら、びっくりするだろうが、マンガン、わたしは大金を儲けたんだよ」
「お金を儲けたですって?」弁護士は息が止まった。「あなたがお金儲けをなさったのですか、サー・エヴェラード?」
「驚くだろうと思ったよ」ドミニーは落ち着いて言った。「しかしそれはどうでもいいんだ。今朝、君を訪ねてきたのは、ドミニー邸を抵当にして借りている金を全額、大急ぎで返済する手続きをしてほしいからなのだ」
ミスタ・マンガンは新しいタイプの弁護士だった。パブリックスクールはハロー、大学はケンブリッジ、バス・クラブ(註スカッシュの選手権で有名なロンドンのクラブ)に所属してゴルフやローンテニスよりもラケットやファイブスを好んだ。驚いた彼は「ゴッド・ブレス・マイ・ソウル!」と言う代わりに「グレイト・スコット!」と叫び、左目からたいそうモダンな片眼鏡を落として、両手をポケットに突っこんだまま椅子の背にもたれた。
「三、四年ほど運に恵まれてね」と、依頼人はつづけた。「金鉱、ダイヤモンド鉱、それに土地で儲けたんだ。もう一年向こうにいたら、俗臭芬々たる億万長者になって戻ってきたかもしれない」
「心からお喜び申しあげますよ」ミスタ・マンガンは何とかそう言うことができた。「驚いたりして失礼しました。しかしわたしの知る限り、ドミニー家の方で、方法を問わず、一ペニーでも稼ぎ出した方はあなたが初めてですよ。それにアフリカに行かれる前のあなたの様子からは――あけすけな言い方をしても許してもらえると思うのですが――そんなことをしようとすることすら予想できませんでした」
ドミニーは上機嫌で微笑んだ。
「アフリカ連合銀行に問い合わせれば、わたしの口座が十万ポンドほど貸方残高になっていることが分かるだろう。ついで言うと、その、なんだね、わたしは一級鉱山にも投資しているんだ。ミスタ・マンガン、昼食をつきあってくれないだろうか。アフリカのことはもう話題にしたくないんだけれど、投機の話を少しばかりしよう」
弁護士は手探りして帽子を探した。
「助手にタクシーを呼ばせましょう」彼は口ごもるように言った。
「外に車を待たせてあるんだ」と、この驚くべき依頼人は言った。「出る前にドミニー邸の担保物件をリスト化するように事務職員に指示しておいてくれないか。債務弁済最終期限と償還価値も明記して」
「ちゃんと指示しておきましょう」ミスタ・マンガンは約束した。「全部合わせても八万ポンドにはならないと思います」
ドミニーが事務所のなかを通るとき、数名の事務職員が好奇の目つきでじろじろと彼を見た。弁護士は数分後に舗道の上で彼に合流した。
「どこで食事しようか。わたしが行くクラブはちょっと流行遅れだし。今、カールトンホテルに泊まっているんだが」
「カールトンホテルのレストランなら申し分なしですよ」ミスタ・マンガンが提案した。
「一時半まではテーブルを取っておいてくれている。是非あそこで食事しよう」
彼らは一緒に車で出かけた。帰国した旅行者はずっと窓から混雑する通りを眺め、弁護士は軽い物思いにふけっていた。
「そう言えば、サー・エヴェラード」目的地が近づいたとき弁護士が言った。「ドミニー邸に行かれる前にちょっとお話しておきたいことがあります」
「特別な話かい?」
「ドミニー夫人のことです」弁護士は若干深刻な調子で答えた。
相手の顔に影がさした。
「妻はだいぶ変わったのかな?」
「お身体のほうは大変調子がよろしいようです。しかし精神状態は少しも変わっていません。残念ながら相変わらず激しい思いこみをお持ちです。あなたがイギリスを離れる原因となった思いこみを」
「分かりやすく言えば」ドミニーは苦々しく言った。「わたしが同じ屋根の下に泊まったりしたら、殺してやるという宣言を撤回してないんだね」
「奥様の様態はしっかり見守る必要があるでしょう」弁護士は直接質問に答えることを避けた。「しかし、時間が経っても、奥様の不幸な反感が薄れてないことは、一応お話しておくべきだと思いまして」
「彼女は今でもわたしがロジャー・アンサンクを殺したと思っているのだろうか?」ドミニーは落ち着いて尋ねた。
「思っていると思います」
「他の人もみんな同じように考えているんだろうね」
「あの謎はいまだに解決していません。あなたが公園で争ったこと、ほとんどふらふらの状態で家に帰ったことはみんな知っています。ロジャー・アンサンクはその日から姿を消し、今日に至るまで行方不明です」
「わたしが殺したのだとしたら、どうして死体が見つからないんだ?」
弁護士は頭を振った。
「もちろんいろいろな説がありますが、ただ、一つの噂だけは覚悟なさっておいたほうがいいでしょう。お屋敷の近隣に住む人々は、ブラック・ウッドの争いのあったあたりに、今でもロジャーアンサンクの幽霊が出没すると、みんな信じています」
「率直な意見を聞かせてほしい。もしも死体が発見されたら、これだけ時間が経過していても、わたしは殺人罪で起訴されることになるのか?」
「ご安心なさい。第一に、わたしの考えでは起訴されることはありえない」
「第二には?」
「ノーフォークのあの辺りに住んでいる人なら分かりますが、ブラック・ウッドの片隅に放置された死体なんて、人間のだろうが、動物のだろうが、二度と見つかりはしませんよ!」